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シベリア抑留組の帰国

1949年3月15日、日本共産党は、文部大臣高瀬荘太郎と前文部大臣2人、それに『民主主義』の主幹編集者尾高朝雄を、公務員の「不正行為」の廉で告訴した。

この告訴事件は無視された。不正の証拠もない。

共産主義者が腹を立てれば立てるほど、民間情報教育局(CIE)は喜んだ。

イールズ博士は、満足げに「『民主主義』は、共産主義を見事に告発する形で書かれ、また共産主義者の宣伝活動を極めて効果的に抑えるように書かれている」と述べた。

その「見事な効果」の証明もあると言う。「共産主義者が『民主主義』を激しく非難攻撃しているからだ。この非難攻撃は大変に優れた推薦状といえる」。

「インターナショナル」大合唱 

           

1949年6月27日、シベリアから日本人兵捕虜の第一陣2000人が「高砂丸」で帰国した。

これら「再教育・洗脳」された日本人兵は、ソ連共産主義の栄光を称え、共産主義の「讃美歌」である「インターナショナル」を歌いながら舞鶴に上陸した。

アメリカ陸軍省軍事情報局は、3年前の1946年8月に、既にそうした事態を予期していた。

「選ばれた優秀な日本軍人および民間人(ソ連に拘留された日本人捕虜は、78万5000人)は、ソ連から政治的な洗脳をされていると考えられる。彼等が日本に帰国すると、日本人の思想に大きな影響を与えるであろう」。

このようなソ連引き揚げ者たちは、思想的に親ソ連であるばかりでなく、「日本を?解放?するための軍事組織の中心的な?核?になるかもしれない」。

この記事の著者 西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。 同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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書評『シベリア抑留者たちの戦後 ── 冷戦下の世論と運動1945−1956年』富田武著(人文書院、2013年)

          笹本妙子(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)

太平洋戦争において日本軍が捕えた連合軍将兵は30数万人、うち、いわゆる「白人捕虜」13万人余は占領地や日本国内で過酷な生活を強いられ、3割近くが死亡した。その結果、戦後の戦犯裁判で多数の日本人が厳しく処断されたことは周知の通りである。

一方、連合国側の捕虜となった日本兵は約5万人と言われるが、連合軍捕虜に比して少なかったのは、「戦陣訓」を守り、捕虜になるより「玉砕」「自決」の道を選んだ兵士が多かったからである。やむなく捕虜になった兵士たちも「戦陣訓」に呪縛され続け、豪州カウラやニュージーランド・フェザーストンの日本兵捕虜収容所では、多数の日本兵が自的な集団脱走や暴動を起こして死亡するという事件もあった。

これら「戦中の捕虜」に対して、「戦後の捕虜」とカテゴライズされる人々がいた。いわゆる「日本降伏軍人JSP(Japanese SurrenderedPersonnel)」と「シベリア抑留者」である。

前者は、敗戦時に東南アジアにいた日本軍人約11万人が、東南アジア連合国軍により1947年頃まで強制抑留されたことを指す。国際赤十字委員会はこの抑留はポツダム宣言ジュネーブ条約違反であるとして英米両国に勧告を行った。

それでもJSPの抑留期間は2年以内に留まったが、60万人もの日本軍人が長きは11年にわたってソ連地域に抑留され、強制労働させられた「シベリア抑留者」は、数の上でも抑留期間の長さにおいても、生活の過酷さと6万人という犠牲者の多さにおいても前者をはるかに凌ぐ。

彼らはまた東西冷戦下で抑留中から帰還後に至るまでイデオロギーに翻弄され続けた。留者の体験も多岐にわたり、多数の回想記が出版されたが、アカデミックな研究は立ち遅れていた。

本書は、ソ連史と日ソ関係史を専門とする著者が、大学人として初めて「シベリア抑留問

題」に取り組み、3年の歳月をかけて調査研究した果実である。近年ロシア等の公文書館で公開され始めた資料を発掘し、日本の新聞や雑誌、帰還者団体の機関誌など膨大な資料を駆使して、抑留の実態と、特に戦後初期の状況を俯瞰し、分析し、シベリア抑留とは何であったのかを構造的に浮かび上がらせている。

第一章「シベリア抑留概観」では、まず、ソ連の参戦と日本軍将兵の連行・抑留を、日ソ中立条約・ポツダム宣言ジュネーブ条約違反と断じる。収容所内の「民主化運動」は素朴な反軍闘争から始まったが、ソ連共産党の指導が強まるにつれ、「人民裁判」などイデオロギー過剰の政治運動へと変質していき、ついに6万6千人署名の「スターリン大元帥に対する感謝状」という倒錯にまで至ったことを、著者は「天皇制軍隊とスターリン捕虜収容所は精神構造の上で瓜二つ」と喝破する。

第2章「抑留報道と帰還者運動」では、「日の丸組」「アカハタ組」の対立、米ソの激しい攻防などを丹念に検証し、GHQが意図的に発表した過大な未帰還者数を、各紙が鵜呑みにして流布させたことも見逃していない。いわゆる「徳田要請問題」については、国会特別委員会の速記録から総合的に分析している。

帰還者運動についても、各団体の機関誌やアカハタなどをもとに検証しているが、日本共産党が必ずしもソ連の指示通りに動いていたわけでないことも明らかになった。

第4章「シベリア抑留者群像」では、ソ連エージェントやソ連残留者、高杉一郎内村剛介、高橋大造などの優れた語り部たちを紹介し、この問題のより深い理解への標としている。

戦後70年、生存するシベリア帰還者の平均年齢が90歳を越えつつある今、個々の体験の歴史的位置づけを試みた本書が世に出た意義は極めて大きい。この問題をライフワークとすることを宣言した著者にさらなる期待が寄せられている。

止まれ。日本国民は全てが労働者なのだろうか?

共産主義革命のために、一人の犠牲者をも出さないためには全ての日本国民を労働者というカテゴリーに納めなければならないが、実際には彼らは無産階級(王族・資本家・プチブルジョワ)を敵と定め、打ち倒す(収容所にての思想改造・洗脳、転向しない人間は抹殺)と暴力を持って多大な犠牲者を生み出す。

カンボジアではポルポト共産党政権がカンボジア国内の知識階級200万人を虐殺したため、現在でも国の発展が遅々として進まない。

人間を二者択一で振り分けることが如何に愚かなことか・・・。

科学(部分観・帰納法)という衣を纏った共産主義という宗教は部分観であるがため同じところをぐるぐる回ることしかできない。

全体観・演繹法に人々を立たせてはならないのだ。

従って、共産主義信奉者の問題意識を常に小さな部分の不都合にだけ集中させる手法が取られる。

科学的立場というものは権力者にとってとても都合のいい支配の道具なのだ。

労働者階級と言う教義は人間の全体観を失わせ、支配するのに好都合なのだ。

今も亡霊のような思想に命を懸ける人々が早く人間本来の自由の道に立ち返りますように。